文法学習は、スピーキング力の発達を妨げるのか。 

Saturday 10 June 2023

学校教育 英語教育

 こんな挑戦的なことを書いてみるが、これが私の現在抱く探求テーマである。かれこれ10年以上英語教育に携わってきたが、最近の経験からそんなことを考え始めている。もちろん第二言語習得論研究において、8〜9歳の壁というのがあるのは知っている。ネイティブのように外国語を吸収できるのはその辺りの歳までという研究である。しかし、現在実施している教育が成果を出せば、面白いことになる。

 私は現在、公立の中間一貫校に勤めている。生徒は選抜試験によりある程度の学力のある生徒が集まる。そうはいっても、一般的な地元の公立小学校を卒業してきた生徒が9割以上である。この学校はいろいろな先進的なことを取り入れ取り組んでいる。その中の一つが、英語の授業である。本校では、中1から一切英文法を教えず、英語のみで授業を進めていく。検定教科書は使わず、独自の教材を使っている。内容は、目的場面がはっきり設定された課題に生徒が取り組んでいく。例えば、中1の4月から、「あなたはある記事を読んでみた。その記事に興味をもったので、その書き手に手紙を送る」というようなものだ。ルーブリックを使い、パフォーマンステストによって評価される。

 当然、生徒は日本語一切禁止の英語の授業に面を食らう。それはそうだ、何も教わっていないのに、いきなり英語のイマージョン環境に投げ込まれるのである。まず自己紹介から始まる。多少英語をかじっていた生徒は、なんとか知っている単語を並べ、身振り手振りで話し始める。一方で英語の土台がほぼない生徒は、My name is / I like程度の知っている表現を言った後は、できる生徒の話に相槌を打ち、なんとかその時間をやり過ごそうとする。

 次に、その単元で行う内容の説明がリーディング課題として渡される。いきなり10文くらいのまとまりのある英文である。主語や動詞という概念もあやふやな生徒たちである。まずは全ての語を辞書で調べ始める。電子辞書を使っている生徒が7割ほどいる。というかこれをやるなら電子辞書を使わないと時間的に厳しい。4、5回目くらいの授業からは、ガンガン、Google翻訳を使ったり、DeepLを駆使して、意味をチェックするようになる。こちらは積極的にgoogle翻訳を勧めはしないが、禁止もしない。これはいけないことなのか。確かに英語という言語を学ぶ上では、あまりいい方法でないのかもしれない。しかし、ここでは英語を学ぶことより、英語で課題をクリアすることに重きが置かれている。ライティングも同様に自動翻訳を使っている。最近の翻訳技術革新により、それほどおかしな文はなくなりつつあるので、それを使ってもそれほど違和感のない文が出てくる。

 二週間くらいすると、ある一定数の生徒が、「英語の授業がわからないのできつい」、中には「学校に行きたくない」という生徒もでてくる。こういう生徒は、これまでの学び方が否定されるような思いに打ちひしがれ、苦悩する。その学びとは、「頭で理解して、納得できること」を学びと考えている生徒たちである。往々にして、小学校の時に優秀だった生徒たちである。ここで、それまでなんとか抑え込んでいた文法好きな英語教師としての自分が葛藤を始める。体型的に文法を教えてやりたい、納得させてやりたい。しかし、ここである思いが生じる。それは、「文法学習は、スピーキング力の発達を妨げるのかもしれない」という思いである。実際多くの日本人は文法を頭で理解はしていも、なかなか話せるようにはならない。それは正しくないといけないという思いが引き起こしているように思う。もしかしたら、先にブロークンな英語を学んで、あとで少しずつ文法に気づいていく過程の方がいいのかもしれない。
そんなことを考え始めたのである。

 これから彼らがどう英語を習得していくのか、じっくりみていこうと思う。