昔は教師は「聖職者」と呼ばれていたらしい。聖職者ということは、「神に仕える仕事、神から与えられた仕事」ということだ。それほど尊ばれていたのだろう。実際、明治時代くらいの小学校を卒業していることさえ博がついたときには、相当の秀才しか教師になれなかったのである。ただ、みんなが「教師になりたい」と思っていたのかというと、それはまた違う話だと思う。特定の能力、資質を持った人のみが、教師になることを許されたということだろう。
最近は教員志願者の減少が著しく、メディアでもよく取り上げられる。しかし志願者倍率が下がったから、価値がない仕事かというと、そうではない。もともと誰もがなれるものではないのである。
私は、教師という職業が、本当に聖職者であると信じている。そう信じられるもののみが、質の高い仕事ができ、充実した教員人生をおくれるのである。そう思えない人は、そもそも教員になろうとは思わないし、さらに厳しいことを言えば、間違ってなってしまった場合には、心を壊してしまうのである。
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