雑誌英語教育の中で本書のことが書かれていたので、早速図書館で借りて読みました。それほど分厚くないので、数時間で読める量です。しかし内容はとっても深く、示唆に富んだものです。英語教師は言語に加えて英語圏の文化についても話せるといいでしょう。そこでこの本がとっておきのネタ本になります。私が感心したものを下に書きます。
・スプーンを使うとき、日本人はスプーンを口元に平行に持っていって、吸うように飲む。一方で、欧米の人は「スプーンを顔と直角になるように近づけ、スプーンの先端から飲む。そのとき、吸うのでなく流し込むようにするため、スプーンの先が、口の中に相当入り込むことになる。」(確かに言われてみれば昔欧米人と食事をしたときそれに違和感を持ったのを思い出した。)
・A rolling stone gathers no moss. 「転がる石には苔がつかない」
この諺について、英国では苔をいいものとして考え、「自分の居場所を変えてばかりいると豊かにはなれない」という意味にとる人が多いが、米国では反対に苔をよくないものと認識して、「常に動き続ければさびがつかない」というふうに捉える人が多いと。実際アメリカ人は、度々職場を変えることは個人の好ましい発展と捉える。この諺の例はまさに人々の考え方の違いを表している。ちなみに戦後アメリカ人が日本家屋を借り上げたとき、わびさびを感じさせるような古風な灯籠の苔を磨いて取り除き、ペンキで塗り上げてしまったということ。
・日本人は「水」といえば冷たいものを普通想像し、「温かい水」には、お湯という呼び名がある。そこで英語のwaterにもこの原則を当てようとするが、それは違う。英語のwaterは、お湯の意も含むのである。
・lipといえば赤ピンクの唇のことだと思いがちだが、実は英語でlipというと、それは赤ピンクの部分に加えて、口周りのかなりの部分のことも含んでいるという。
・日本人は人の顔を描写するとき、「鼻が高い、低い」ととかく鼻について触れることが多い。それに対して、西洋文化では、顎に非常な注意が向けられる。indeterminate chinやfighting chinmなど、その人の性格が顎にあらわれていると考える。彼らは自信を示すためには無意識に顎を出そうとする。かつて在日フランス人が、顎を引いて歩く日本人を見ておもしろく感じたという。
・英国は愛犬民族である。日本がペットブームで英国の犬種を多く輸入したときがあった。そのとき日本人は犬を飼えなくなると捨てるということがいかに残酷かということでイギリスでは物議になり、犬の輸出をやめるよう国会で議論がなされたという。ではイギリス人が犬を飼えなくなったときどうするかというと、薬物や銃で自らの手で殺すという。それが飼うものの責任であり、動物のためでもあると考えている。しかし日本人はそんな残酷なことできない、だから捨てるしかないとなるのである。つまり「残酷」の概念が違うのである。
・日本人の母親が子どもと話すとき、「パパ遅いね」といった場合には、そのパパとは子どもの父親のことを指す(母親のパパではない)。また、例えば二人姉妹の女の子がいてその妹に大人が「お姉ちゃんと似ているね」といったとすると、このお姉ちゃんとは当然女の子のお姉ちゃんを指す。このように、その場の最年少の者の視点を優先して大人は話す。このような名称の使い方は世界の中でも日本語に特徴的なものだという。
・日本の夫婦は、子供が生まれれば夫と妻ではなく、子供の母と父の関係になる。一方西洋人は、いつまでも妻と夫の関係を維持しようとし、そのために多大な努力をしている。愛情表現をいつも言ったり記念日を祝ったりすることによって。日本人にとって結婚とは「否定したり解消したりすることが原理的に不可能である親子関係というスタティックで不変の関係を介した、すでに与えられた人間関係として把握されているのではないだろうか」
・アメリカでは例えば夫が教授で、妻がその授業を受けているなんてことが普通にある。二人の関係が「夫婦関係」、「教師と生徒の関係」と変わることに別に違和感を持たないようである。一方日本ではそのような光景はあまり見られない。日本の夫婦関係は固定的で、私的な性格が強いので、公的なところではお互いに無関心を装いがちである。
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