学校の部活動における「補欠」文化への批判

Monday, 9 August 2021

  今年は中学校3年の担任とサッカー部の顧問をしている、まさです。普通の公立中学校で働いています。今日、Yahoo!ニュースのセルジオ越後さんの記事を読んで、思わず膝を打ちたくなるものがありました。それは、セルジオ越後さんの、「部活動の補欠」に関する考えです。(Number Webより)

「なぜ、日本では補欠をほめるの。信じられないよ。僕は体罰より補欠のほうが差別的な言葉だし存在だと思うよ。スポーツはみんなにプレーできる権利を与えない限り、やる意味はないんです」

 これは本当にその通りです。私自身も「補欠」になったことが、部活動への熱を失ってしまった1つの要因となりました。特に、顧問教員のレギュラーメンバーと補欠メンバーへの扱いが違ったことが嫌でした。部活動では、補欠メンバーがレギュラーメンバーのサポートをするのが当たり前という考えがあります。それは補欠メンバーが自発的にやるなら、もしくは彼らにお願いしてやってもらうならわかりますが、それをやって当然というのは違うと思います。

 もちろんレギュラーになる子が人より練習していて、逆に補欠になる子が練習をサボっているのであれば、それに対して教員の厳しさ、物言いが変わるのはわかります。でも、そんなこはあまり多くないと思います。みんな一生懸命やるのです。また、日本の部活動に関していえば、「その競技を趣味として、遊びとして楽しみたい」という生徒がいてもいいはずなのです。それを、監督による一方的な評価で、レギュラーメンバーを特別待遇するようなことや、レギュラメンバーが図に乗って補欠メンバーを下に見るのは理不尽なことなのです。

今日進路三者面談がありましたが、そこであるサッカー部の生徒が、「高校に行ってもサッカー部に入りたい」と言いました。これは私にとって驚きでした。なぜなら、彼は決してサッカーが上手いとは言えない子だったからです。部員は13人だったので、公式試合では、毎回彼が補欠にいってしまうことが多くありました。そうやっていつもベンチに座っている彼を見て、何か申し訳ないなと思いました。そのように中学校部活動の中であまり試合に出してやれなかったので、高校では別の部活動をやるのかなと思っていたのです。そしたら「高校でもやる」といったので、これを聞いて私はうれしく思いました。私は顧問として、自分自身の経験をもとに、徹底的に「補欠」に劣等感を感じさせたり、みくびるような雰囲気は出さないように努めました。それが結果として、彼の純粋なサッカーに対する楽しみを奪わないで済んだのです。