最近、教え子からフェイスブックの友達申請が届いていた。私はそれを受け入れるかどうか少し躊躇してしまった。連絡をくれたのは嬉しかったが、私の友達などの人間関係を知られるのに少し抵抗感を感じたのだった。
申請をくれたのは、担任を受け持った男の子だった。彼は決して優秀という感じではなかく、家庭的にも危ういところがある感じがしたが、なんとか志望校の高校に進学することができた。
私は彼の申請を保留にしていたのだが、なぜか一週間ほど心にひっかかっていた。そしてその理由を考えた。その中で私は彼にとっては一生教師であったんだということに改めて気付かされた。
教師は生徒にとってはいつまでも教師なのである。だから、たとえ卒業しようが、彼らが人生で困難にぶつかった時、相談したければいつでも応えられるようなメンターにならなければいけないんだと思った。
p.s フェイスブックには自分の友達の閲覧などを制限できる機能もついているらしい。それを使えば、たとえ友達になっても、自分の交友関係を全てオープンにする必要もないことがわかった。
申請をくれたのは、担任を受け持った男の子だった。彼は決して優秀という感じではなかく、家庭的にも危ういところがある感じがしたが、なんとか志望校の高校に進学することができた。
私は彼の申請を保留にしていたのだが、なぜか一週間ほど心にひっかかっていた。そしてその理由を考えた。その中で私は彼にとっては一生教師であったんだということに改めて気付かされた。
教師は生徒にとってはいつまでも教師なのである。だから、たとえ卒業しようが、彼らが人生で困難にぶつかった時、相談したければいつでも応えられるようなメンターにならなければいけないんだと思った。
p.s フェイスブックには自分の友達の閲覧などを制限できる機能もついているらしい。それを使えば、たとえ友達になっても、自分の交友関係を全てオープンにする必要もないことがわかった。
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