昔の日記を発見

Sunday 1 December 2019

その他

 先日、ヤフーのブログがサービスを終了したというお知らせがメールで届いた。「あれ、ブログってなんかやってたっけ?」と思って、いろいろパスワード設定などを突破して見てみると、大学生の頃チリに留学していた時に書いたブログであった。昔の自分の文章を読むのは、なんだか不思議な気分である。


2009年7月4日

 昨日スタバでいつものように読書してたら、隣に4人のチリ人学生がやってきた。そして鞄からノートをとりだして、漢字の練習、そう小学生がやるようにマスのなかに繰り返し練習するあのノートに書き始めた。おお、日本語勉強してんのかな、と思ってよく見ると、見慣れない漢字があったので中国語と分かった。しばらく日記を書いてたら、突然そのうちの一人の男の子が話しかけてきた。「あなた日本人ですか?」日本語だったかスペイン語だったか忘れたがとにかくそんなことを尋ねてきた。そうだと応えると、なにやらすごい目を輝かせて、中国語を勉強していること、しかし本当は日本語の方が興味があるんだというようなことをものすごい勢いで話しだした。僕も、外国人が日本に興味を持ってくれる事はうれしいことなので、喜んで質問に応えた。彼の質問は、中国語と日本語の漢字の違いとか、バとヴァの使い分けとか、なかなか知識があるようにみえたので、どっかで日本語を学んだ事があるのかと聞いてみると、ないと応えた。という事はアニメの影響かと聞くと、そうだと応えた。チリにきて、僕はアニメの影響力に驚いている。日本に興味があるという学生は大抵アニメがきっかけだという。何でもこちらにも、いわゆるオタクが存在するらしく、以前会った女の子いわく、彼らは日本人をみると熱狂するから気をつけた方がいいということだった。しかしそう言っているその子が僕にはオタクにみえて仕方なかったので、そのことを言うと、少しむっとして、「私はオタクじゃないよ」と応えた。彼女がいうには、オタクには二つの条件、明らかにオタクだとわかる外見と、アニメの詳しい知識が必要らしく、また、日本同様、少しマイナスのイメージを、いわゆるキモイ感じが必要だということだった。僕は彼女にあやまりつつ、苦笑してしまった。さて、話をもとに戻そう。その彼が、ナルトの話をし初めた。このアニメはスペインを含めて、こちらではアニメの代名詞的存在であるが、彼いはく、アニメに影響されて、サンティアゴに忍者養成学校ができたということだった。僕は爆笑してしまったが、彼は真面目にその学校の説明をしてくれた。忍術、というよりは空手とかカンフーのようなことを学べるらしい。何のためにやるのかよく分からないが、日本好きの間ではなかなかの評判らしい。日本に興味をもってくれるのはいいが、なんか違う気がする、そう思った。


2009年7月5日
 
 今日もまたスタバで3時間程暇つぶしに単語をしらべていた。やっぱりスタバは勉強には最高の環境だと思う。その理由の一つ目、周りの雑音である。雑音というと何だかマイナスなイメージだが、しかしスタバのそれは少し違う。適度な音量の洋楽、他の客の話し声が見事に調和して、最高の雑音を作り出すのだ。しかしもし客が一組しかおらず、その話声が大きければ、どうしてもそっちの方に関心がいってしまう。だからいつも数組の客がいて、普通におしゃべりしていてくれるスタバは、調度よいのである。その上、他の客はスペイン語か英語で話しているので、僕の語学力では、全神経をそちらに傾けて理解しようとしなければ意味をつかめない。だから話に関心がいって集中できないなんて事はないのである。僕は静かな所で勉強するとたちまちのうちに寝てしまうので、いつもある程度雑音のあるところでするのを心がけている。それでは家で音楽でも聞きながらやればいいじゃないかと言われるかもしれないが、音楽ではだめだ。音楽は先がある程度予想できるからだ。雑音だと予期せぬ音が突然なりだすから、たとえまどろみ始めても、驚いてさっと目が覚めるのである。
 二つ目の理由、それはスタバの値段である。ご存知の通り、スタバは高い。コーヒー一杯1000ペソからだ。しかしここにはある付加価値が含まれている。それは高級感、セレブ感を感じられる、というやつである。人々はこの感覚を味わうために、あえて高いスタバを選ぶのだ。
 またこの値段の高さなので、そう軽い気持ちではスタバには入れない。長時間勉強をする、インターネットをするのでなければ、払った額の割に合わないからだ。故に、たくさん勉強しないと、と自分を追い込むのだ。しかしながら東京のスタバでは時に、隣りに大変活気のあるご夫人方がやってくることがある。その時には本当に腹が立つ。しかし僕には彼女達をだまらせる自信がない。往々にして、最終的に、せっかく高い金を払ったのにすぐにでていくはめになるのだ。
 ところでチリのスタバでいつもかんじることだが、いつも店のドアの横につったっているあのとても暇そうなおじさんは一体誰なんだ。制服をきているところを見ると、店員、いや監視人とでもいうのだろうか。しかし実際彼らは何もしていない。一時間に一回くらい客席の間をまわるくらいで、ずっとつっ立っているのである。客席の皿をかたずけることすらしないのだ。何か本でも呼んでいればまだいいのだが、本当に何もしていないで、ちょくちょく時計をみながら凄く退屈そうなのである。そしてお昼の時間になると、突然客席に座って、鞄から自前のサラダを取り出し、堂々と広げ始める。おいおい、スタバで持ち込みしていいのかと突っ込みたくなるところだったが、彼が率先してやっているのだから、きっとチリでは許されているのだろう。私が店長であれば確実に彼をリストラするところだが、さすがはチリである。


2009年8月7日

 こちらにきて半年が経つが、チリ人の人柄というか価値観というか性格みたいなものが少しずつわかってきた。もちろん全てのチリ人がこうだとはいえないが、ある程度いえるところはある。まず日本人の私が特に感じること、それは大雑把さ、適当さである(大分大雑把だと思っていた自分にさえそう思わせるほどである)。チリ人にいわせれば心の広さ、フレキシブルさというものだ。例えば時間の概念、これはチリに限らず南米中にいえることかもしれないが、まず時間にルーズである。私の大学の教授らは必ずと言っていいほど遅れてくるし、またある教授は学期が始まったのにいまだに家族旅行から帰ってこず、授業は始まらない。それを許す大学もどうかと思うが。また洗濯屋に服を出した際に、「明日の10時にはできてるよ」と言われたので、その二時間遅い12時にとりにいったところ、まだ終えていなかった。私はその後用事があっで急いでいたので、20分ほどまたされた時少しイライラしていた。「さあできたよ」というので見てみると、乾燥機からとりだしたまだ少しぬれているものを、適当に袋につめて「はい」と渡された。私はそこでつい我慢できなくなって「昨日10時っていったのにまだできていないし、できたと思ったらくしゃくしゃだし、かなりお金を払ったんだからもう少しプロフェッショナルにやってくれよ」といったら、悪びれる様子もなく、「私たちの国はあんたの国みたいに小さなことにこだわらないのさ」と逆切れされたので、私はさらにいらっときて「言い訳しないで」といって店をでた。その後そのことを家のオーナーのチリ人のおばさんに話したところ、「それはチリ人の悪いところなんだけど、どうにもならないよ」と笑っていた。また、食べ物に関してもその性格は如実にでている。まず料理に時間をかけないのだ。味付けも大体は塩のみである。肉や魚、野菜などは日本に輸出する程で、素材はもの凄く安くて新鮮なのだが、料理方法がよくない。だからはじめはレストランで食事をする機会が多かったが、あまりのまずさに嫌気がさし、結局自分で料理を始めた。