こんにちは。今日は教師に絶対読んで欲しい本シリーズの第2弾です。
『測りすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』ジュリーZミュラー、松本裕訳
本書のテーマは「パフォーマンス評価の負の側面」です。
本書でいうパフォーマンス評価とは、従業員の仕事をその質や量で測り、それに応じて給与が決まるなどというときの場合のパフォーマンス評価です。近年AIの急速な発達も手伝って、欧米ではこのパフォーマンス評価は一般企業から病院、警察、学校まであらゆる業界に浸透しつつあるといいます。パフォーマンス評価は「能力に応じて報酬を受ければもっと効率が良くなる」という考え方に基づいています。その起源はヴィクトリア朝時代のイギリスにまで遡るそうです。自由党議員であったロバートロウは、パフォーマンス評価を公教育に適用し、学校の生徒の成績によって資金を振り分けるという「画期的」なことを思いつきました。これに対し、学校の評価を監査する調査官であったマシューアーノルドは、子供達が評価対象となる知識を山のように暗唱するのに夢中になって、大事な論理的思考が欠如していることを問題視し、この制度が人格形成や人間性の教育を損ねていると痛烈に批判しました。
パフォーマンス評価の問題は、全てのものが測定可能で数字で表せると考えることにあります。数字こそが客観的で信用できるものだとします。測定可能を英語でいうとアカウンタブルです。アカウンタビリティ、すなわち「説明責任」という最近の社会におけるキーワードが一致するというのは偶然ではありません。つまり、測定基準の支持者は、数字で測定することによってのみ、組織が責任を真に果たすと考えるのです。
しかしながら、「重要なことが全て測定できるわけではなく、測定できることの大部分は重要ではない」のです。本書には、「教えるのは大好きだが、テストの結果を伸ばすことを目標としたカリキュラム統制が進むにつれて、教育への情熱が吸い取られていく」と語る教員が登場します。そう、教員というプロフェッショナルは、目に見えないものを教えていることに誇りを感じているのです。このような教員に対するパフォーマンス評価は、教員の士気を下げ、教育の質の低下を招くことに繋がりかねないといえます。
今回の新学習指導要領では、「教師が何を教えるか」のみならず、「生徒が何を学ぶか」に焦点をあて、それを測定させるためにパフォーマンス評価が推奨されています。これはこれまでの履修主義から、成果主義への大転換であると、ある教育学者は危機感を表しています。教師である我々は、パフォーマンス評価とは何なのか、何ができて何ができないのか、それらをはっきり把握した上で、慎重に取り組む必要があります。そのために、パフォーマンス評価の負の側面をわかりやすく教えてくれる本書の購読を教員の皆さんにお勧めしたいと思います。
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