教員は授業中にいつも笑顔でいるべきなのか

Sunday, 10 November 2019

学校教育 教員採用 書評

 
  今日は結構前から思っていたことについて書きます。

「いつも笑顔で明るく元気よく」は本当か

 よく教師本や教師研修などで「いつも笑顔で明るく生徒の前に立つように」ということが言われますが、私は今まで本当に指導力があって、生徒だけでなく先生たちの間でも一目置かれるような中学校教員の中で、授業中に笑顔を振りまいている教師は見たことがありません。指導力のある先生は簡単に笑いません。ではどういう表情なのかというと、真剣な顔です。表情が引き締まっていて、目に力がこもっています。その先生が入ってきただけで、ピリッとした緊張感が生まれます。
  どうしてこのようなことを書くかというと、自分がこれまで「教員というのはいつも生徒の前で笑顔でいるべきだ」という固定観念に囚われていたからです。でもどうして自分のクラスで授業規律が十分に躾けられず、あるベテランの先生のときはちゃんとしているのか考えはじめ、指導力があり生徒から尊敬される先生とされない先生を観察して分かったことは、尊敬される先生は真剣な顔をして授業に入ってきた人が多かったということです。顔を作ろうとして作っている訳でなく、授業に全神経をかけて臨んでいるから、真剣になるということです。一方、私もそうでしたが、教育実習や新任の先生は、ほぼ全員、笑顔で教室に入り、笑顔で授業を始めようとします。この笑顔はどういう意味があるのでしょうか?生徒らに好かれるための「愛想笑い」でしょうか?(私の笑顔はこれでした。)こういう教員が示す「優しさ」は、生徒たちには「甘さ」と受け取られることが多いように思います。しかし本当に学びに真剣に取り組ませたかったら、教師も真剣な顔で教室に入るべきなのです。「プロの英語教師」として著名な靜哲人先生は、その著書『英語授業の心技体』の中で、授業の始め方として、「起立」のときに全員と視線を合わせようとし、「ガンをとばし」て、「俺は本気だぞ。本気で教えるからお前らも本気にならないと承知しないぞ」と「喧嘩」を売ると言います。また、靜流英語授業道 心技体15条を示し、

一、生徒に好かれようと思うな。英語教師の仕事は生徒に好きになってもらうことではない。英語の力をつけてやることである。そのために「嫌がられる」ことをしてやるのも仕事である。
二、ことさら英語を好きにさせようなどと思うな。好きだの嫌いだの言っているのがそもそも甘い。〜
五、授業では生徒にプレッシャーとストレスを与えることをいつも考えよ。授業はリラックスの場ではなく、訓練の場である。

 と仰っています。
 もう一度言います。「生徒に好かれよう」などとは思ってはいけません。生徒はそんな薄っぺらい教師の話は聞かなくなります。そうではなく、「どうやってこの生徒らに学びをさせるか」ということにフォーカスしましょう。そうすれば、気づけば自然と真剣な表情になるのです。

 このように書いてきましたが、2つばかり断っておかなくてはいけません。1つ目は、これはあくまで私の経験で、中学校での話です。中学生は思春期であり、反抗期の真っ只中です。教員のことをとてもよく見ていて、「勝手が許される先生」と「しっかりやらないといけない先生」を判別します。前者に判別されれば、容易に授業が崩壊します。だからそこですきをみせてはいけません。もう1つは、笑顔がいけないということではありません。真剣な目つきは大事ですが、理不尽に怒鳴りつける「怖い先生」になってはいけません。尊敬をされる先生というのは、両面を使い合わせます。そのギャップが大事なのだと思います。
 そういえば、最近読んだ『本当の武士道とは何か』(菅野覚明)の中で、理想の武士像について、江戸時代の儒学者、佐藤一斎の言葉が紹介されていました。
「面は冷ならんことを欲し、背は煖ならんことを欲し、胸は虚ならんことを欲し、腹は実ならんことを欲す」『言志四録 一 言志録』川上正光全訳注、講談社学術文庫

(解説)顔は相手から恐れらるほどに冷ややかでなければならない。しかし背中には温かいものがある。胸のなかは、あくまで公平無私で、私情が入る余地などない。そうでないと、危急の場で冷静な判断は下せない。しかしながら、腹のなかには「まごころ」がつまっている

これが私の理想の教師像であります。

まとめ

 いかかでしたでしょうか。教育実習や新任の先生で、「授業規律がなりたたせられない」と考えている人に参考にしてほしいと思います。教師の表情というのは、クラスの雰囲気や成績にまで大きな影響を与えるというエビデンスも出ています(益子,2012 )。表情を「武器」と考えて使いましょう。

参考文献
『英語授業の心技体』靜哲人他
『教師の表情とクラス雰囲気との関連性』益子行弘、斎藤美穂