私はこれまで偏差値が高いいわゆる名門進学校から、中1の2学期が終わってもアルファベット26文字がなかなかかけない生徒が多くいる教育困難校まで多様なレベルの学校で働いてきました。教員として働いてみて、そこで感じた授業の差を書きたいと思います。(現場で感じる感覚であって、一般化はできませんが)
名門進学校では授業はチョークと黒板で勝負、困難校では全教室パワポ整備と全員にアイパッド
私が今まで働いてきた学校での経験に加えて、何人かの私学で働く人にも聞いた結果から感じたことは、名門進学校では今だに「トークとチョークで勝負する」という昭和型の教師が多い傾向があるということです。一方、公立学校や私立の教育困難校では、最新のICT教材教具を取り入れた授業が推奨される風潮があります。どうしてそうなっているのでしょうか。そのことについて考えてみましょう。
まず名門進学校で伝統的指導スタイルが継続されているのは、難関の大学に合格するための基本的なリテラシー能力をつける上で、それが最も効果的だという強い信念が教員たちにあるからだと感じます。大学入試改革やアクティブラーニングという言葉が世間をざわつかせていますが、そんなのは何処吹く風。私の勤務する学校の校長は、「最近文科省はおかしい。ころころ変わって筋が通ってない」とぼやいておりました。とにかく、実際伝統的スタイルで大学入試の合格者数ではそれなりにいい成績を残すので、わざわざ指導を変える必要性がありません。そこで「大学入試さえできりゃいいのか!」という批判があるかもれしれませんので言っておきますと、難関大学入試の問題は暗記だけでは通用しません。完全に思考力が問われています。また、「進学校の生徒はどうせ鉄緑会とか東進とか予備校で勉強してるから、学校の授業なんて影響ないでしょう」という批判もあるでしょう。しかし多くの先生が同意すると思いますが、優秀な生徒はしっかり学校の授業に取り組みます。学校を捨てて予備校だけで勉強している生徒で国公立の難関に行った人をあまり知りません(自分自身の学生時代の反省でもあります)。
しかしデジタル教育が全く無駄になっているとは思いません。興味深いことに、困難校の方が進学校よりデジタルスキルに明るいという逆転現象もおきているところがあります。今働いている学校では、希望者にPythonを教えています。困難校といっても学びを楽しめる生徒もたくさんいるので、そう言う子たちはめきめきプログラミングを身につけています。新しいことに対しては名門進学校よりも困難校の方が腰が軽く学校としていろいろなことに取り組んでいるように思います。
しかしこの生徒にとって良かれと思ってやってきたことに、新井紀子先生著『AIに負けない子どもを育てる』では警鐘を鳴らしています。彼女の恩師は、「一橋大学でコピー機が導入された時に学生の質が落ちた」と感じたと言うことです。またある自治体の小学校では、教師に穴埋め式プリントをやめさせたら成績が上がったともあります。昔からやられてきた書き写しという行為は、何かしらの部分でリテラシー能力を鍛えるのに役立つのかもしれません。
① どうして名門進学校では昭和型の授業が続いているのか。
まず名門進学校で伝統的指導スタイルが継続されているのは、難関の大学に合格するための基本的なリテラシー能力をつける上で、それが最も効果的だという強い信念が教員たちにあるからだと感じます。大学入試改革やアクティブラーニングという言葉が世間をざわつかせていますが、そんなのは何処吹く風。私の勤務する学校の校長は、「最近文科省はおかしい。ころころ変わって筋が通ってない」とぼやいておりました。とにかく、実際伝統的スタイルで大学入試の合格者数ではそれなりにいい成績を残すので、わざわざ指導を変える必要性がありません。そこで「大学入試さえできりゃいいのか!」という批判があるかもれしれませんので言っておきますと、難関大学入試の問題は暗記だけでは通用しません。完全に思考力が問われています。また、「進学校の生徒はどうせ鉄緑会とか東進とか予備校で勉強してるから、学校の授業なんて影響ないでしょう」という批判もあるでしょう。しかし多くの先生が同意すると思いますが、優秀な生徒はしっかり学校の授業に取り組みます。学校を捨てて予備校だけで勉強している生徒で国公立の難関に行った人をあまり知りません(自分自身の学生時代の反省でもあります)。
② どうして教育困難校では電子教材や機器を使いたがるのか。
ではどうして教育困難校では最新の電子教材や機器を多く使うのか。そこには2つの理由があると思われます。1つは、そうしないと生徒が授業に付いてこないからです。入試があるといっても、偏差値の低い私立学校では倍率が1倍を割っているところもあり、受験者全員を全入させることもあります。経験ある先生たちはおそらく「チョークと黒板」型授業の効果がわかっているのですが、勉強が苦手な生徒たちは板書を写そうともしませんし、強制的に写させるとものすごい時間がかかります。辛抱強く先生の話を聞き続けることもできず、あきたら眠ります。そこで先生たちは何とか効果的な映像や音響を使いながら、生徒に学びの楽しさを気づかせようと奮闘しているのです。良かれと思って穴埋め式プリントやパワーポイントを組み合わせて、テンポよく授業を進めるのですが、果たしてその効果がどのくらい出てるのかはわかりません。しっかりしたエビデンスが必要です。もう1つの理由は生徒募集の際のアピールポイントになる点です。私学で学ばせようと考えている親御さんからしたら、最新設備がしっかり整っていて多様な学び方ができる学校の方がいいと思いますよね。このように、ある意味やむをえない理由からデジタル授業になっているのが大きいと感じます。しかしデジタル教育が全く無駄になっているとは思いません。興味深いことに、困難校の方が進学校よりデジタルスキルに明るいという逆転現象もおきているところがあります。今働いている学校では、希望者にPythonを教えています。困難校といっても学びを楽しめる生徒もたくさんいるので、そう言う子たちはめきめきプログラミングを身につけています。新しいことに対しては名門進学校よりも困難校の方が腰が軽く学校としていろいろなことに取り組んでいるように思います。
板書を書き写すことは、退屈で単純な作業ではない!
ところで、「板書を書いてそれを生徒に写させる」という授業スタイルは、時代錯誤で効果が低いのでしょうか。なぜだが私自身もそうですが、研修などで繰り返しICTを言われたせいか、「チョークと黒板授業は古くて、非効率。」という固定観念が植えつけられてしまいました。特に私の担当の英語では、板書に使う時間は無駄でその分音読や別のアクティブな活動をさせなさいといわれることがありました。そのため穴埋めプリントやパワポを準備し、また自分が学生の頃にやっていた教科書の本文をノートに写すという予習もやらせなくなってしまいました。しかしこの生徒にとって良かれと思ってやってきたことに、新井紀子先生著『AIに負けない子どもを育てる』では警鐘を鳴らしています。彼女の恩師は、「一橋大学でコピー機が導入された時に学生の質が落ちた」と感じたと言うことです。またある自治体の小学校では、教師に穴埋め式プリントをやめさせたら成績が上がったともあります。昔からやられてきた書き写しという行為は、何かしらの部分でリテラシー能力を鍛えるのに役立つのかもしれません。
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