エビデンスから考えるシリーズ:副教材が「教員の自由裁量感」を満たすのにいかに重要かということ

Tuesday 15 October 2019

学校教育


私は大学院の修論で、イングランドの教員と日本の教員それぞれ6人ずつに「(検定)教科書というものをどう思うか」というインタビューを行いました。そこで浮き彫りになったエビデンスは、日本の教員にとって「補助教材」が「教員の自由裁量感」を支えるのにいかに大事なものであるかということです。

 私がこのことに興味をもったのは、イギリスの現地校に子供を通わせ始めたばかりの知人が、「教科書がなくて家でどうやって勉強させていいかわからないのよ」という愚痴をいっているのをきいたところからでした。その小学校では何やら毎回教師がプリントを自作で作っていて、教科書は使わないということでした。

イギリス人教師らの一般的な教科書観

そこで小学校で教員をしているイングランド人の友達に「日本では検定教科書というものを使わなければいけないんだけど、こういうのイギリス人の教師は使わないの?」と訊いてみました。すると面白い答えが返ってきました。「教科書っていうのはないわね。あったら嫌だね。教える内容は大枠はナショナルカリキュラムで決まっているけど、何を使ってどうやってそれを教えるか、どういう順番でそれを教えるかなどは教師が決めるべきことであり、大事なスキルだから。教科書見ながら授業したら新米だと思われるわね。そもそも政府に授業内容を決められるのなんてまっぴらね。」ということでした。そして6人のイングランド人教員全員が、多かれ少なかれこの教員の「教材を含めた授業の自由裁量権」をとっても大事にしていて、「アンチテキストブックイズム」が強いことを感じました。

大方の日本人教師は検定教科書の必要性を理解しているが

一方日本人教員は教科書のことをどう思っているかというと、予想通り、概ね好意的に受けとめていました。「教科書がないと何を教えていいかわからない。」や、「なかったら教員ごとにバラバラなことをやって質が保てなくなる」という答えが返ってきました。

 では日本の教員たちにはイギリス人教員が最も大事とした「授業の自由裁量権は自分が持っている」といういわば「授業の自由裁量感」を求める欲求はないのでしょうか。よくよく話をきいてみると、彼らはそれを「補助教材」で満たしていることがわかったのです。公立中学校の国語科女性教諭は、「基本的に教科書を軸に授業を進めるけど、自分が別にやりたいことは副教材を使ってやるわね」ということでした。またある私立の英語教諭は、「教科書は一応使うけど、主には自分の選んだ教材(補助教材)を使って授業を進めるね」ということでした。つまり、検定教科書が教員らに受け入れられているのは、補助教材の存在があってこそであることが分かったのです。

 それなのに…

 補助教材についての研究ってあまり進んでいない気がします。どういう補助教材を使っている教員が多いのか、検定教科書とどういう補助教材の組み合わせが学びにおいてより効果が高いのかなど、もっとエビデンスを求めるべきでしょう

 そもそも、補助教材ってどこに法的根拠があるのかというと、

 学校教育法34条2項(教材)
前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる。
 
 です。
 
 そして平成27年には文科省が「学校における補助教材の適正な取扱いについて」という通知を出しています。(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1355677.htm

 これによると、どの補助教材を使うかはあらかじめ教育委員会への届出、承認が必要でだということでした。

 ではこれまで「ダメと言われた教材があったのか」や、逆に「これ補助教材として認められたんだ」とかそういう情報ってもっと共有された方がいいと思うんです。検定教科書の採択はときどき社会問題となるくらい議論されるのに、こと教員の「自由裁量感」にとって欠かせない補助教材のことはあまり議論されているとは思えません。補助教材の出版社がいろいろあってデータをまとめるのも一苦労ですが、やはり生徒にとってベストな補助教材の使い方を教員や教育委員会はデータをとってエビデンスを探るべきではないでしょうか。