今日はまた素晴らしい本に出会えました。願わくば自分が修士卒論を書く前に読みたかったです。その本が『教え学ぶ技術』苅谷剛彦・石澤麻子著です。
もともと自分も教育に携わるものとして、苅谷先生の本は今まで結構読んできて勉強させていただきましたが、今回の本も大変内容の濃いものでした。
まず本の構成ですが、オクスフォードで実際に行われるチュートリアルを再現した形になっています。石澤さんというオクスフォード大学の修士課程を修了した生徒さんと苅谷先生の対話形式で進んでいきます。私自身石澤さんと同年代で修士留学していたせいもあるかもしれませんが、論文を書く上での疑問点がほぼ同じでしたので、苅谷先生とのやりとりを読んで腑に落ちたことが結構ありました。その1つが、石澤さんの「誰かの論文をつなぎ合わせて作ったものが、自分のオリジナルといえるのか」という疑問です。これはまさに私が修論を書く時に強く感じたことでした。この答えとして、先生は「オリジナリティとはゼロから何かアイディアを生み出すことではなく、既存の知識をどうつなげるか、組み合わせるかということ。オリジナリティとは組み合わせが生み出す変化。(p.108)」と答えられています。他にもたくさんのフニオチポイントがありましたが、是非それはご自分で読むことをお勧めします。
この本をお勧めするのは、まず修論を書こうとしている修士生。これを読んだかで修論の質がかなり変わることを保証します。次にお勧めするのが、教師です。苅谷先生が本文の中で「教師は「頭の使い方」に引き出しをいっぱい持っていなくてはいけない。いかにその引き出しを多く持っていて使いこなせるか。これは教師の技術=アートである」とおっしゃっているこの言葉に私はドキッとさせられました。苅谷先生の言っているのが大学の先生に限定しているかはわかりませんが、私は中学高校の先生にも当てはまることだと思って読みました。次期学習指導要領では「主体的対話的で深い学びの授業」の実践が求められていますが、まさに生徒と知的で思考を深めさせる対話をするスキルは校種に関係なく全ての教師に求められているものです。この対話スキルが具体的にわかりやすく書いてあります。是非読んでみてください。では。
まず本の構成ですが、オクスフォードで実際に行われるチュートリアルを再現した形になっています。石澤さんというオクスフォード大学の修士課程を修了した生徒さんと苅谷先生の対話形式で進んでいきます。私自身石澤さんと同年代で修士留学していたせいもあるかもしれませんが、論文を書く上での疑問点がほぼ同じでしたので、苅谷先生とのやりとりを読んで腑に落ちたことが結構ありました。その1つが、石澤さんの「誰かの論文をつなぎ合わせて作ったものが、自分のオリジナルといえるのか」という疑問です。これはまさに私が修論を書く時に強く感じたことでした。この答えとして、先生は「オリジナリティとはゼロから何かアイディアを生み出すことではなく、既存の知識をどうつなげるか、組み合わせるかということ。オリジナリティとは組み合わせが生み出す変化。(p.108)」と答えられています。他にもたくさんのフニオチポイントがありましたが、是非それはご自分で読むことをお勧めします。
この本をお勧めするのは、まず修論を書こうとしている修士生。これを読んだかで修論の質がかなり変わることを保証します。次にお勧めするのが、教師です。苅谷先生が本文の中で「教師は「頭の使い方」に引き出しをいっぱい持っていなくてはいけない。いかにその引き出しを多く持っていて使いこなせるか。これは教師の技術=アートである」とおっしゃっているこの言葉に私はドキッとさせられました。苅谷先生の言っているのが大学の先生に限定しているかはわかりませんが、私は中学高校の先生にも当てはまることだと思って読みました。次期学習指導要領では「主体的対話的で深い学びの授業」の実践が求められていますが、まさに生徒と知的で思考を深めさせる対話をするスキルは校種に関係なく全ての教師に求められているものです。この対話スキルが具体的にわかりやすく書いてあります。是非読んでみてください。では。
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