教師に絶対読んで欲しい本シリーズ     『部下を育てるレトリック』中竹竜

Tuesday 10 September 2019

教員採用 書評


 「おい、そんな態度は失礼なんじゃないか!そんな態度なら私はもうやらないよ!」
 こう言って私は、練習メニューに納得がいかないでペットボトルを投げつけた生徒を置いて、職員室に向かった。そのあと何か言いにくると思ってしばらく職員室にいたが、誰も来ず、彼らは既に帰宅してしまっていた。

 私が本書にたどり着いたのは、自分の言語能力のなさを痛感したからだ。私は、教師でありながら非常に恥ずかしい話だが、話がもともと上手いわけでは無い。また自分ではクールな方だと思っていたが、実は短気であることをしばしば実感させられる。

 上記の部活の指導場面、どうすることがよかったのか。60代と40代の2人の先輩に相談した。60代の先生に相談すると、「それでいいよ、最近は生徒に甘くしがちな人が多いが、それではだめだ。謝りに来るまで動く必要はないよ」と言ってくださった。一方40代の先生は「そこで怒って帰ってきちゃいけないよ。話を聴いて最後まで指導しないと。」と仰った。

 さて、どちらが今の世の中で、より受け入れられるかというと、それはおそらく後者の方だろう。教師は、言葉という道具を巧みに使って、生徒を時に納得させ、時に刺激を与えるプロフェッショナル職でなくてはならないはずなのに、自分にはその力が欠如していて、怒りの感情によって指導を放棄してしまったのだ。

 中竹さんは今でさえ超一流のラグビーコーチで有名だが、早稲田の監督に就任当初は、「最もオーラのない監督」と言われ、前任の清宮コーチというカリスマ性の溢れるコーチと比較され、もともといた選手からは強い反発を受けたということだった。そんな逆境の中、中竹さんはレトリックを駆使してメンバーを納得させ、チームを動かしていった。

 以下、教師を目指すみなさんに必ず役にたつと思われる文を紹介する。

「スタイルを見極め、らしさを追求すれば、成長や成果につながる」
 誰にでも自分のスタイルというものがあり、らしさがある。「偉大な人」のやり方の真似ばかりする必要はない。

「すごい人よりできる人になろう。できる人とは、きちんとやる人」
 誠実にきちっとやることをやる先生というのが、やはり偉大なのだ。

・準備を失敗するということは、失敗を準備するということだ。(ベジャミンフランクリン)
 名言。授業がうまくいかないのは、能力がないからではなく、しっかり準備していないからなのだ。


・トップに立つ人には、その人だけの振る舞いというのがある。優勝するチームには、そのチームだけがもつ文化がある。
 偉大な先生は、その先生独自のやり方というのをいくつかもっている。


・私は人を育てるということに常におこがましさを感じている。自分の力の小ささを理解している。このことが指導者の心構えとしてのスタート地点。
 このような謙虚さをもって教育に関わらなければいけない。
 
・本質的なコミュニケーションとは何か。私はやり取りの結果、「その先に変化が起こること」と定義する。
 教員同士の会話が、単なる表面上のコミュニケーションに終始してはいないか。学校を本当に改革するには、変化を起こさないといけないのである。

・異論が出た時、上司はそれを鵜呑みにするのも否定するのもよくない。きちんと議論する姿勢が、波風を立てて組織をよくしていこうという風土作りに繋がっていく。
 お互いに納得いくまで、議論できる力があるだろうか。

・相手に期待するな。Aさんがやってくれないではなく、そのことを見越して自分で考えて動こう。
  生徒同士のけんかの指導場面で使えそうな言葉だ。もちろん自分にも効く。

・みんなを平等に扱うとはかぎらないからね。と言っておく。
 親から十分な愛情をかけられて育った生徒がいる一方で、親のニグレクトで放任されて育ってきた生徒もいる。その場合、教師は平等に彼らに同じ愛情をそそぐべきか。それはやはり後者により多くの愛情をかけてやるべきではないのか。

・ミーティングの役割は物事を決めるだけではなく、参加者それぞれが自分のこととして考えさせることが大事。
 職員会議がただの伝達事項確認場所になっていないか。

・チームワークを前提にしてはいけない。全員がライバルというやり方もある。
 特に日本の学級集団内では同調圧力が強く働く。その当たり前を見直す意味があるのではないか。

・マストよりネバーを大切に。
 生徒にあれをしなさい、これをしなさいということより、これだけはぜったいしてはいけないよという方が重要なのではないか。