数年前、聖書の中にナルコレプシーのような症状の青年の記述があるのを発見した。
〔週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。(使徒信条20章7節より)]
人の話を聴いている最中に寝落ちして窓からおちて死んでしまうなんて、いくら夜中まで続いていたとはいえ、ナルコレプシー患者の方ならいたく同情するのではなかろうか。この青年にはしかし、その後奇跡が起こる。
〔パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。]
使徒言行録は紀元1世紀ごろに書かれた。どうしてこの記述が聖書に残されているのかはわからないが、とにかく彼は生き返され、みんなはそれによって慰められたという。よほど彼は周りの人から好かれていたのだろう。ナルコレプシーの私もこの箇所を読んでなぜか慰められるのである。
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