今年は、戦後80年ということで、ネットやテレビで様々な特集が組まれ、多くの人の目に止まる機会が増えている。私自身は、元海軍少佐の進藤三郎氏の記事と、投書階級の話、そしてNHKのシュミレーションが、特に心に残った。
進藤氏の話の中で、印象的だったのは、「日本人がつくづく嫌になった」という言葉である。氏によれば、戦時中の自警団は異常だったという。進藤氏は、戦場で英雄的な活躍をしていたが、休暇に帰郷し街に出てぶらぶらしていたとき、髭を伸ばしたり、煙草をふかす氏を自警団の男が戦時中にふさわしくないと言って、咎めた。氏が自分が飛行艇乗りであることを明かすと、バツの悪い様子で、謝ってきたという。このような人間は、ラジオや新聞に、国民生活の様々なことに関して、戦時中だからと、統制を要望する投書階級とも重なるところがあったように思う。
私はこれまで、軍部の暴走が戦争を引き起こし、国内社会の統制状況を強めていったものだと考えていたが、全てを軍部の責任におしつけるのは間違っていたと認識させられた。大方の国民が、熱狂し、それを望んだのである。メディアが戦争を煽ったという言説も多くあるが、それもメディアをスケープゴートにしているだけで、実際には国民がそれを望んでいたのだ。そもそもメディアとは、「媒体」という意味で、あくまで「仲立ち」である。国民がそれを望み、新聞やラジオがそれに応えていったのである。
NHKスペシャルの「シュミレーション」では、若手研究者がアメリカとの戦争を予測し、確実に負けるという結果を導き出し、それを内閣に説明した様子が描かれている。東条はそのときに、負けることを認識したが、結局世の空気に流され、戦争の渦に巻き込まれていったという。本来リーダーであった東条がこのようなことを言うのは言い訳がましく感じられるが、実際そうだったところもあるのだろう。メディアのところでもそうだったように、権力を持った者と、一般国民の民意の力の関係が逆転したのである。集団の暴走とは恐ろしいものである。
戦争が終わって、世の中は平和、自由、民主主義の方に大きく振り子が動き、地元で英雄として賞賛されていた氏は、地元の子どもたちから「戦犯」といって石を投げつけられ、やるせない思いにかられ、日本人がつくづく嫌になったという。同様に、引揚者として日本に戻ってきた兵隊たちも、「お前らのせいで負けたんだ」などの手のひら返しの扱いを受けた。
我々は考えなくてはいけない。どうしたら、いざ、その状況になった時、国民は自分の頭で考え、より適切で当事者意識のある判断ができるようになるか。そのためには、太平洋戦争の時にこういうことがあったということを語り継いでいくしかない。それを知ることによって、私たちはより賢明な判断ができるようになるだろう。また、教育が最重要だと言うことはいうまでもない。人間の醜さ、弱さを感じられ、また平和の尊さを実感できるような教材、集団化の原理、当事者意識をもつことの重要性、根性ではなく理性をもつこと、こうったことをしっかり学べる教育を提供せねばならない。
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