あえて「概念的知識型カリキュラム」のデメリットを考えてみる。

Sunday, 26 November 2023

学校教育 教員採用

  

1. なぜ今、「概念的理解」が重視されるのか

平成29年度改訂現学習指導要領の第1章総説には、改訂の経緯として、以下のような文がある。

 このような時代にあって,学校教育には,子供たちが様々な変化に積極的に向き合い,他者と協働して課題を解決していくことや,様々な情報を見極め知識の概念的な理解を実現し情報を再構成するなどして新たな価値につなげていくこと,複雑な状況変化の中で目的を再構築することができるようにすることが求められている。

 要約すれば、将来の予測が困難な時代において、新たな価値を生み出すのに、「知識の概念的な理解」が必要になってくるということを言っている。実際、「概念的知識型カリキュラム」の代表のような国際バカロレア(IB)の認定校が急速に増えている。改めて、この「知識の概念的理解」の重要性が言われるようになった背景をいくつか挙げてみる。

・世界的な潮流、特に欧米から

・予測不能なことに対応できる力

・オーバーカリキュラム、詰め込み型教育からの是正

・表面的なアクティブラーニングからの脱却、深い学びの実現


2. 「概念的理解型カリキュラム」のデメリット

 さて、ここでは概念的理解がどういうものかというのは割愛させていただき、あえてそのデメリットを考えてみる。物事には必ず2面性があるもので、新しいカリキュラムが教育政策において全ての問題を解決してくれるわけではない。「概念的理解」がもてはやされる今、デメリットを考えておくのは意義があると考える。

(1) 基礎的な力が抜けがちになる

  「概念的理解型カリキュラム」を実施するにあたり、現場教師として目下悩むのが、基礎力の低下である。概念型カリキュラムにおいては、"Less is more"で、「深く考える」ことが促されるため、授業自体は知識暗記型や単純な計算ドリル中心の授業より刺激的になり、一定以上の学力を持つ者らにとっては意義深いものになる。しかしそれによって単語練習、漢字練習や計算ドリルのようなことは授業内において時間上できなくなる。

(2) 学力において二極化を助長させる可能性がある

 (1)の結果、基礎的な部分は「自律的な学習者」として、「自分で取り組んで下さい」という自己責任のようになるが、当然それができる生徒とできない生徒がいるので、両者の格差が開くことになる。

(3) 概念的理解が、新しいものへの敏感さ、警戒感といったものを下げる危険性がある

 概念的理解ができれば、何か新しいものがでてきたときに、「あ、これは前にやったあれと同じだ」と、そのフレームに入れることで、理解した気になる。新しいものに対しての対応力は確かにつくのかもしれない。しかし、それはある意味、新しいものへの敏感さ、警戒感といったものを下げる危険性がある。例えば、2011年の東京電力の原子力発電所の事故について考えてみる。安全神話という言葉が話題になったが、あれを造った時点で、これまでの経験を踏まえて「事故なんて起こり得ない」という過信があったのだろう。しかし、「想定外」のことは起こるのである。あらゆる物事においては、全てが同じ条件下でおこることはありえない。その個別性を無視して、「あれと同じだ」と誤ったラベリングを偏見的に貼ってしまえば、悲惨な結果になることもある。

(4) 概念的理解型カリキュラムは、その性質上、欧米型の思考、教育観に親和性がある

 これは概念型カリキュラムをやってみて思った私的な感想である。欧米型思考は一神教の世界であり、日本は八百万の神である。欧米型思考は、フレーム思考である。物事を俯瞰的に捉えようとし、演繹的である。例えば、何か新しい技術ができると最初にそのルール作りの基準を決めるのは大抵イギリスである。こないだのAI技術の急速な進歩に対する世界的な基準を決める会議を開催したのもイギリスであった。彼らの母語である英語を見てみれば、その思考が反映されているのがわかる気がする。対して、日本を含めた東洋人の思考は、もっと帰納的といえるだろう。日本には侘び寂びが美徳とされるように、曖昧さをよしとするところがある。何でもかんでもフレームにきっちり収めようとするのは性に合わない。どちらが優れているというわけではないが、概念型理解は、演繹的であり、日本人の価値観にはそう簡単に合わないかもしれない。

 逆の価値観を入れることによって、偏りがちになる思考を是正するという意味では、概念型を導入する意義はあるかもしれないが、それが日本の大衆教育として根を張るかというとそれは簡単ではない。この国に合った形になるには時間がかかることだろう。


結論

 振り子のように触れる教育政策に対して、現場の教師は全てを迎合するのではなく、冷静な目をもって対応すべきである。