日本旅行する香港人を案内しながら思うこと 〜そこに長く「住む」ということ〜

Thursday, 29 December 2022

その他

  香港の人は、本当に日本が好きらしい。私の留学時代の友人の家族は、毎年日本を訪れるという。そのため、彼らは私以上に日本各地を周り、観光地を熟知している。今回案内した時は、羽田空港から東京ー飛騨高山ー宇奈月温泉ー京都ー福岡と巡っていた。

  彼が鰹節の削り器を購入したが、削る前の鰹が欲しいということで、一緒に築地で買い物をし、そのあと私の実家である葛飾周辺を案内することになった。柴又の帝釈天で寅さんのことを紹介したり、亀有でこち亀の話をした。

  1時間くらいで葛飾周辺観光を終え、車で自宅に彼らを連れて行ったのだが、その帰りの車中の中で、彼らは、「日本はどこに行っても観光地として素晴らしい」と話してくれた。そのとき、強く感じたことがある。それは、「そこに住む」「暮らす」ということと、ただ「通り過ぎる」ということは違うということである。私にとって、葛飾周辺は、自分の生まれ育った場所であり、一つ一つの場所、空間に思い出がある。しかし、そこを観光案内すると、1時間やそこらで終わってしまう。世界中、日本中を巡っている彼らの視点から見れば、いかに私の世界が狭いということに気づく。と同時に、そんな小さな世界に住んでいると、自分の生活に満足していて、小さな世界にいることに気づかない。そこに暮らすことで、通り過ぎる人たちには絶対感じえない、何かプラスの価値をその場所に見出しているのである。

  なぜ人類は狩猟社会から農耕社会に変わっていったのか。様々な要因があるのだろうが、その場所に長く留まることで、土地に愛着を感じ、「住む」「暮らす」ことの価値に気づいたというのも一つの要因として考えられるだろう。

  そんなことを考えながら、彼らの東京観光案内を終えた。