『リーマントリロジー』を読んで、資本主義について考えた。

Saturday, 4 December 2021

  図書館の新刊コーナーでたまたま手に取った本が、今回紹介する『リーマントリロジー』(ステファノマッシーニ 飯田亮介訳 早川書房)でした。あまりの分厚さ(750ページくらい)と値段の高さ(7000円弱)に好奇心で手に取ったのですが、実際に読み始めると、あっという間に引き込まれました。今年読んだ本の中でベスト3には入るとても面白いものでした。おすすめです。

 あのリーマンショックを引き起こしたリーマンブラザーズ一族三世代の小説です。こういう一族の歴史を描いた小説を読むと、何度も系図を確認することになります。大学時代にスペイン語で読んだ『100年の孤独』をまた読みたくなりました。

 私がこの小説に引き寄せられたのは2つあって、1つは資本主義について学びをしているときだったので、そのマイナス面の典型として起こったリーマンショックに関心があったからということ、もう1つは最初の1文目が「敬虔なユダヤ人教徒である〜」と始まっていたことで、私は金融界を牛耳るユダヤ人の習慣や考え方に興味があったので、読むことに決めました。

 物語は、ドイツ出身のユダヤ人であるヘンリーリーマンが、大西洋を横断する長い船旅ののちに、ニューヨークに足を踏み入れるところから始まります。ニューヨークにはすでに彼のようなユダヤ人が他にもいて、その中にはマーカスゴールドマン家やジョセフサックス家もいました。その後やってきた二人の弟を加えて、アラバマのモンゴメリーに、綿を扱うリーマンブラザーズという店を立ち上げます。初めは布と服を売っていました。しかし、街で火事が発生し、綿花農家が何もかも失って、一から綿花を栽培しようとしたとき、ヘンリーは名案を思いつきました。

「ならば原綿で支払ってくれればいい。収穫の三分の一をこちらに渡すと今から約束して欲しい。君たちは原綿を届けてくれ。それを僕たちが売る」

「こういう仕組みだった。リーマンブラザーズは農園に種や農具や必要なものを全て差し出し、農園はリーマンに綿花を差し出す。リーマンは倉庫を綿花でいっぱいにし、利ざやを上乗せした価格で企業に提供する」

こうして彼らは綿花を売買する仲買人という職業を作り出し、財を為します。ヘンリーは商売の本物のコツは「ひとが買わずにはいられないものを売る」と言っています。

その後ヘンリーが突然の流行り病で亡くなります。残ったエマニュエルとマイヤーが後を継ぎます。エマニュエルはニューヨークに、マイヤーはモンゴメリーに事務所を置き、商売を拡大していく矢先、またしても災難が襲います。南北戦争の勃発です。彼らはそれぞれ北軍、南軍を援助しました。戦争後には街の復興資金を担うなどで、出資のチャンスを逃しませんでした。コーヒー、砂糖、石炭と、出資したものが全て当たり資金を増やします。そして彼らは銀行を始めました。

ところで、物語の途中途中で、ユダヤ人をユダヤ人たらしめているいろいろなエピソードがでてきます。例えば、ユダヤ教の会堂の序列の話がでてきます。献金を最もしている順に座席が一番前から序列になっているのですが、リーマン家は始め21番目の席から、商売で成功し、社会的地位が上がり献金額が上がるに従い、席が前に移動していきます。また、彼らの求婚のエピソードは、ユダヤ人の現実的な考え方をそのまま表しているのがわかります。

その後、先見の明でさらに石油、電話事業、鉄道、自動車、タバコ、映画(キングコング、風と共に去りぬ)などに投資をし、事業を拡大、投資ファンドとして不動の地位を確立しました。

「ファンドは金儲けのためだけに金を投資する。融資すべき社名もなければ起業すべきメーカーもなく、探検すべき市場もない。」

「アメリカ国民は投資を覚えた。中間層はついに虎の子の貯金を隠しておくのをやめ、今や誰もが債券やファンドに自分の金を賭けて、二倍の儲けを得るようになった。」

彼らはアメリカの文化、金融、商品、武器などあらゆるものを支配しました。

世界大恐慌、第二次世界大戦をなんとか乗り切ったリーマンブラザーズでしたが、その後、敏腕トレーダーであったグラックソンが、リーマン家から会長の職を奪いました。その一年後に、アメリカンエキスプレスに買収されてしまったのでした。

ここまでが小説のあらすじです。

本書を読んで、いかにしてリーマンブラザーズらユダヤ人が資本主義経済を利用してアメリカを支配してきたかということがよくわかりました。いかなる危機にあっても、それを商売につなげ資本を拡大してきた彼らの凄さ(狡猾さ)が分かったと同時に、「実態のないバーチャルな金で金を買う」(訳者あとがき)経済の危うさが理解できた。そして、それゆえに、リーマンブラザーズというある意味、資本主義経済の象徴のような存在が倒産してしまったことは、資本主義社会自体の終焉を予知させるものであり、それだけにあれほど世界を揺るがすことになったことが納得できました。