「探究心」が教員のバーンアウトを減らす。教員より民間の方がいいと思ったら読んでほしいこと。

Saturday 18 July 2020

学校教育 教員採用

 先ほどNHKの夜9時のニュースで、将棋の藤井棋士が史上最年少でタイトルを獲得したことが報道された。その藤井さんが翌日の記者会見で掲げた色紙に揮毫した言葉が「探究」であった。

 明鏡国語辞典によると、探究とは、「物事の真の姿を明らかにし、見極めようとすること」とあった。

 自分の探求したいことがあり、それを楽しめる人生は最高の人生だと思う。時間を忘れて物事に熱中し、気づけば人生の最期を迎えていたなんていうのが、私の理想である。

 「学びの探究」なんてことが言われているが、中学校教員の私は「人間力」の探究をしていきたいと思う。京セラ創業者の稲盛和夫さんは、「人生において、自分自身の魂を磨き、美しい心、美しい魂を作り上げていくことが、人生の目的ではないかとおっしゃっている。5年間教員をやってきて思ったことは、中学校教員は、「自分の魂を否が応でも見つめざるを得ない機会」が多い仕事であるということである。中学生は未熟で様々な問題を起こすのだが、その指導をする際に、教員の魂が汚れていると、中学生に見透かされるのである。彼らは大人の魂をよく見ていて、「大した人間ではない」と判断すると、それを態度に表してくる。だから一度そう見られると、指導は厳しいものとなる。授業力、部活動の指導力、生徒・保護者との関係構築力、同僚との協調性など、教師はいろいろな力が求められるが、全ては「人間力」に収斂する。

 そこで私はこの「人間力」を焦点にして生涯をかけて探究をしていきたいと思う。

 そう考えれば、民間だろうが公務員だろうが、目指すことはそう変わらない。最終的に目指すのは「人間力」をいかに高められるかということであり、教育活動を通じてその探求に誠心誠意努めること。給料がどうとか仕事が多いとか言っている場合ではない。ブラックだと言ってやめるのもよし、教員は人を育てるやりがいのある仕事だといって留まるのもよし、そこの判断は「人間力」を高められるのはどこかということである。

 こういう考えに達して、私は「民間の方がいい」という幻想を追い払った。