レビュー『日本沈没上下』小松左京、『日本沈没第二部上下』小松左京・谷甲州

Saturday 14 March 2020

書評

 この作品はNHKの「100分で名著」で知った。発売当時は空前のブームが沸き起こり、映画にもなったことは自分の親世代の記憶によく残っているらしい。普段SFものは読まないのだが、本書にはとても興味を惹かれた。

 本書の大まかなあらすじは、地震活動によって日本列島がそのまま海に沈んでしまうという話である。そして、その後日本人が世界各地に散り難民として生きる様子が第二部に描かれる。なにしろ徹底的に科学に基づいた現象の描写、明快で納得させられる日本人観の記述、そしてリアルな人間模様の描写が見事である。

<一部抜粋>
・「戦前、あるいは少なくとも明治までの日本の社会では、「家」と「世間」というものが、社会の基本単位になっていて、男は成人すると、「家」を代表して「世間」とつきあうか、あるいは「家」を出て「世間」の中に入っていくかした。しかし、戦後はこの関係が全く変わった。(p.234)
・「若い連中は知らないんだな。社会も家庭も、そういうことをちっとも教えてやらないんだ。かわいそうに。〜 日ごろ、我慢したり、表面で支持するようなかっこいいことをいっていたのが、こう言う事態のもとでは、急に憎悪を噴出させるもんだ。人間の中の攻撃本能というのが。とりわけ“日ごろ生意気な、大きな顔をしている連中”に向かって吹き出すことが十分考えられる。」
・「政府と都はただちに緊急物価統制令をだしたが、〜、末端価格は、全国で「瞬間的」といっていい上昇ぶりを示し、地方業者の思惑と、今更ながら買いだめに奔走する消費者、それもほとんど被害のなかった連中のため、次々に品物が姿を消しはじめるとともに、ついに一部では閾値が復活し始めた(p.390)
・「そのもう1つそこにあるのは、政治家だって役人だって、同じ日本人じゃないかという、根強い、長い、歴史的意識であった。長い鎖国、明治大正昭和も、一般民衆にとっては、一種の鎖国だった〜むしろ、子が親に、「最後は何とかしてくれる」と思い、そう思うことで繋がりを保証するような「国に対する甘え」の感覚が今もなお、大部分の民衆の心の底に根強く、わだかまっており、それが彼らに、「危機における柔順と諦念」の基本的行動様式をとらせていた。だが、意識の底の甘えに支えられて、彼らの意識の表層に近い部分に、もう1つの行動体系があった。近代社会の取った、取られた、とか損害をかけられた、侮辱された、とかいったとげとげしい利害関係、緊張関係の中で形成されている行動体系が(p.220)
・「玲子」という名前が浮かび上がりそうになるのを、彼は水に人間の頭を突っ込んで殺そうとしているときのような、残忍な心で抑えつけた。冷酷無惨な人殺しの感情にでもならなければ、その言葉はいるかのように、あるいは行き脚をつけて〜、猛烈な勢いで意識の底から跳ね上がり、彼に飛びかかってきそうだった。(p.304)
第二部下より
・「言葉や社会習慣をことさら守る必要はない。(中略)我々が真に継承すべきなのは、日本人という集団の有様ではないのか。」(p.242)
・「日本人の生活様式そのものが宗教である、との指摘もあります。ユダヤ人が心の拠り所としたユダヤ教は、実は先祖からうけついだ『生活の知恵』を集大成したものでした。それと同様に日本人も、自分たちの生活様式を信仰の対象としていたのではないか。無論その行為は、無意識のうちに行われます。(中略)たとえていえば『嘘をつくな』とか『借りた金は必ず返せ』といった社会常識を、宗教的な行事とは誰も思わないでしょう。」(p.253)
「一見すると生産力に寄与しそうにない余剰人口(老人や子ども)が、谷を活気づけていたのだ」(p.355)

 作者は9年もかけて第一部を書き上げ、その後第二部が出るまで33年もの年月を要しているということだ。あとがきでは、第一部を描き始めた時はまだ悲惨な敗戦から20年も経っていないのに、高度成長で浮かれていた日本人に、「これでいいのか」という思いで書いたとある。彼のメッセージは今の日本人にも響いてくる。ぜひ、この作品をしらない若い世代に一読することをおすすめする。

追記)折しも読んでいる期間に、コロナショックのために経済が停滞し、ネット記事で「日本沈没」とあったときには苦笑いしてしまった。