『忘れられた日本人』(宮本常一)を読んで

Saturday 10 August 2024

書評

  NHKの「100分で名著」は本当に面白いですね。で、そこで紹介された『忘れられた日本人』。これは、現代日本人に必読の書です。

  この中で私が特に印象に残ったことを3つ書きます。一つは、昔の村の制度について、二つ目は、庶民の生活・信仰について、三つ目は、男女の関係についてです。

 筆者が調べたところによると、戦前くらいの頃には、特に西日本の村々において、「寄り合い」という制度があったということです。村に関わる全ての物事は、ここで話し合われて決められました。その話し合いの仕方が秀逸です。いくつかの村の決め事について、一つずつ話し合いが行われるのですが、まず、それぞれが自分の家がこれまで経験してきた事例を出し合って話をしていきます。賛成や反対の意見が逐一出ても、そこですぐに決をとらず、次の議題に移ります。ときには、次の議題の中で、前の議題に関係することが出てきて、その話に戻ることもあります。そうやって時には数日に渡って休みなく続くこともありました。そこにいる誰もが意見を出し合い、皆が納得するまで議論が続きます。そして議論が出尽くした時点で、最終決定者が決をとります。この話し合いの素晴らしいのは、議論が熱くなることはあってもそこですぐに決めることをせず一度冷却時間をとること、個々の議題を別々に考えるのではなく複合的に見ることでさまざまな視点から考えられること、それぞれの意見は過去の事例に基づいて出されるものでより説得力のあるものになること、そして全員が納得のいくまでとことん話し合うということです。時間がかかっても、そこで決めたことは全員が守らなければいけないという強い力が生まれます。いろいろな場で、このような議論のエッセンスを活用したいものです。もう一つ面白かったのは、年齢階梯制度です。村々で年齢ごとに若者ら、戸主ら(働き盛りの者)、隠居者らとグループが作られ、それぞれのグループが村の運営に関わりました。隠居者といってもその年齢は40〜50歳くらいで、なぜそんなに早く隠居するかというと、戸主らは村全体のいろいろな役があるので自分のやりたい仕事ばかりやってられない、そのために早くに息子に家督を譲り、思う存分仕事に精をだすというのです。ここから現代の日本社会が学ぶべきことがあるのではないでしょうか。今は労働力不足だ、まだ働けるからと言って、定年が伸び、人によっては生涯、雇われ続けます。政治家もそうです。なかなか引退しない。しかしそれでは、将来のことについて、本当にそれが直接関わる世代の考えが反映されにくくなります。さらに現役世代は個々の仕事のことばかりに気を取られ、公に関すること、例えば地域の交流等に関心がいかない。こうして地域の自治力が弱まっています。現役世代こそ、社会全体のことにもう少し関わること、そして隠居世代は自分のやりたい仕事を思う存分行うこと、これは社会をより良くする上で大事な知見な気がします。

 2つ目は、庶民、特に百姓の生活・信仰についてです。本書の中には多くの百姓の話がでてきます。彼らは、本当に休みなく生涯働き続けました。朝早くから夜遅くまで、ひたすら荒地を耕して田畑にしていきました。ご飯は稗や粟などの穀物が中心で、味など関係なくとにかく腹を満たして働けるようにするためのものでした。そして毎晩、神仏に1日無事に過ごせたことを感謝して祈っていたそうです。そういう生活に不満や疑問を一切抱くことなく、それを生涯続けたというのです。翻って現代の我々はどうでしょうか。「仕事がきつい」、「ご飯がおいしくない」など際限なく不平を言い合ってはいないでしょうか。自分の人生を嘆いていないでしょうか。先祖から我々は学ぶ必要があります。

 3つ目は男女の関係についてです。男が女を知るのは、基本的に夜這いで、男が夜中に気に入った女の家に忍びこみ、、関係をもったということでした。誰もが自分の思い思いの人のところに行けるわけではなく、若い男らのグループが各村にあり、その中である程度は掟があったそうです。仮に他の村の者と関係を持った者らは、その村の若者グループのメンバーにこっぴどく殴られ痛めつけられました。明治期に日本にやってきた宣教師が記すところによれば、日本では、欧米のように純潔が尊ばれる価値観がありませんでした。父親がわからないというような子供も多くいたでしょうが、母親は大切に子供を育てました。貞操観念が希薄だった、性に対して解放的だったというのは何を意味するのでしょうか。一つは女性の権利が一般に考えられている以上にあったのではないかということです。純潔主義というのはある意味で女性を縛るものであり、それでいて男性には何の縛りもりません。今日では、日本は男性優位社会だと欧米や国内からすらも批判が多いですが、元々の社会は決して、決してそうではなかったのではないかと、考えました。

 是非全日本人にこの本を一読することを強く勧めます。