Wikipediaを疑え

Wednesday 19 February 2020

学校教育

 こんにちは。以前、興味のある戦国時代のことを調べようと思って、便利なウィキペディアを使ったことがありました。そのときはそれで納得していたのですが、その後、いろいろな書籍やブログを読んで、そのウィキペディアの内容が事実とは限らないことがわかりました。そこで改めて気づかされました。それは、

知らず知らずのうちに自分がウィキペディアを信頼しうるソースとして考えていた

という恐ろしいことです。

 ウィキペディアが世に出始めた2000年初頭は、自分がまだ小学生でしたが、調べ学習をするときに、先生に「インターネットは信頼できないから、ちゃんと本を読んで、資料としなさい」と言われたのを覚えています。だから中学生くらいになっても、ウィキペディアをみることはあっても、それをあまり信用しない気持ちがありました。しかし時が経つにつれ、ウィキペディア側もライターに第一次資料を使うことを推奨し、参考文献も明記させるようになったことから、その信頼性は一気に高まっていきました。講演会などでも、広辞苑を信頼しうるソースとして引用源にするのと同じように、ウィキペディアをソースとして使う人が増えてきたと思います。

 生徒に調べ学習をさせて、「参考資料を明記しなさい」というと、当たり前のようにウィキペディアを資料として載せる生徒がでてきますが、私自身がそうなりつつあるので、ましてや子供達はウィキを絶対的な資料としてみていても全く不思議ではありません。

 確かにウィキペディアは多くの人の目に触れ、その分間違いがあればその都度訂正されることになるのかもしれませんが、一方で例えば一般庶民の関心の低い事項や思想などは、一部の人間に執筆され、それがいつの間にか「事実」として認知されてしまう危険があります。書き物である以上、そこに執筆者の思想が入り込むのは当然のことです。そのことを改めて大人が認識し、ウィキペディアを絶対視せず、しっかりとした一次資料にあたることを、特にこのフェイクニュースが溢れる時代には、もっと学校教育でしっかり教えていかなければ、とふと思うのでした。